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読書感想文の感想文

PRESIDENT ONLINE で樋口泰行さんというパナソニックの専務の「読書感想文」を読みました。
タイトルは「大企業社員が何のために働くか忘れる理由
サブタイトルが「”給料は天から降ってくる”と勘違い」です。
ユニクロの創業者 柳井正さんの本を読んだ感想文です。
タイトルから「大企業病の原因とその処方」だと思ったので読みました。

でも、読んでガッカリ!
樋口さんの感想文からの孫引きですが、柳井さんはその著書の中で「(大企業病から)脱却するには、創業時の原点に戻って再びベンチャー企業からやり直す必要がある」と書かれているのだそうです。
しかし、これを読んだ樋口さんは、それは「難しい」と一蹴した挙句、「柳井さんと同じように、私も社員を鼓舞し続けていきます。」と決意を表明しています。
レレレのレッ?
私にはどこが「柳井さんと同じ」かまったく読み取れませんでした。

大きなお世話ですが、私なりに両者の文を書き直してみると、柳井さんは経営者として、「(自ら汗と血を流して)会社の仕組みを創業時に戻す!」と決意を表明しているのに対して、樋口さんは「私は前線で汗と血を流さず、一番後ろの大本営で”突撃ーーっ! 突撃ーーっ!”と号令します。」と言っているのです。

しかも「”給料は天から降ってくる”と勘違いしている社員すら見受けられます。」とのあからさまな社員批判にはビックリです。
外部のコンサルタントが改善提案のために言うならともかく、当事者に言われたら、本人たちも、その人たちを育てた人々もこれにはビックリでしょう!

「あ、私の勤めたところもこういうタイプが多かったな!」と思いました。
もちろん、柳井さんでなく、樋口さんの方ですけど・・・

私、自分の子に作文指導をしたことがあるのですが、この樋口さんのような作文を書いたら即「やり直し!」です。
応援活動や指摘も必要かもしれんが、お前がまずやるべきことは、自分が必死にひたむきに自分の役目を果たすことだろう! 自分が果たすべきことを果たさない人間に応援されても指摘されても、嬉しい奴なんか一人もいないぞ! 自分の決意をこれに書いてきなさい!」と・・・

樋口さん、たかが読書感想文にもお人柄は現れるんですよ!
それをあなたの会社の皆さんも読みます! 感じます!
柳井さんのように、「自分は汗と血を流して○○をします!」と書いてきてください。
社員の批判や「社員を鼓舞します。」は書かなくていいですから・・・

そう書くと、「で、お前は何をするの?」と聞かれそうですね。
私、ここ数年、以前から修得したかった技術の修得に励んできました。
今後数年で、これを世のため自分のために役立てたいと思っています。

 参考記事>「タラレバ」、 作文のヒケツは「起転承結」

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「進化」の説明

2018年の11月にTVで「アフリカ象は象牙の長い個体が密猟で狙われるので、自ら牙を短く進化した」と言っていました。

これ、間違ってはいないのでしょうが、誤解を招く表現だと思います。
つまり、この表現で想像するのは、牙が長い象の何頭かが、密猟者は牙が長い象を標的にすることを「知って」、「これはマズイ、牙を短くしなきゃ」と「考え」、木や岩に牙をこすりつけて短くする姿です。
そう思うのは私だけでなく、小学生に聞いたら5人にひとりくらいはそう言うのではないでしょうか?

では、どう言えばこんな誤解を生まないでしょうか?
「牙が長い象は密猟者が捕獲するので個体数が減り、牙がより短い象が多数派として残った。その結果、牙が短い象だけが繁殖の機会を持ち、最終的に”牙が短い”ことを特徴とする””として存続することになった。
これを"淘汰"と言う。」
こんなところでどうでしょうか?

私、テクニカルライターとして仕事をするときはいつも「ものは言いよう」と言ってきました。
「分かり難い説明書」を「分かり易く」することが仕事ですから・・・

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ハイテク時代を生き残る能力

ハイテク時代には何が問題でどういう能力が必要なのでしょうか?

20世紀末頃から「デジタル・デバイド」とか「ITリテラシー」なる言葉が使われるようになりました。
前者は、デジタル機器を使えるかどうかを意味する後者によって貧富が分かれるという可能性を示す言葉でした。
いつからそういう恐れが出てきたのでしょうか?

一般家庭では、TVまでは、どの家電でも見れば直感的に使えました。
しかし、最初のつまづきはVTRで起こりました。
「録画予約ができない」人が続出したのです。
そして、職場でも「ワープロ」が使えない人々は使える人々に劣等感を感じるようになったのです。
でも、まだこの段階では「使えると便利」程度でした。

さらに、パソコンの普及によって、使える人と使えない人の差は決定的になりました。
ワープロだけでなく、電子プレゼン、表計算などが日常的に使われるようになると、これらを使えない人は即仕事を遂行することができない、という事態になりました。

なぜ、そんな事態になったのでしょう?
TVまでは基本「アナログ」機器でした。
操作する箇所が少数で、しかも操作と結果とが単純に対応していました。
しかし、VTRの録画予約は、それまで洗濯機や炊飯器で用いられてきたゼンマイ式タイマーと異なり、多数のボタンを「目的ごとに異なる順序」で操作しなければならなかったのです。
それはワープロ、パソコン、そして携帯電話へと踏襲され、さらに複雑化さえしたのです。

では、ハイテク時代を生き残る能力とは「ITリテラシー」なのでしょうか?
もちろんそうなのですが、「ITリテラシー」の獲得のために必要な能力があったのです。

それは「国語リテラシー」すなわち「国語の読み書き」能力です。
ハイテク時代になって、さまざまな問題が出たのは、根本的には、操作方法を(書いて)伝える能力、(読んで)理解する能力の不足が原因だったのです。

今存在するデジタル機器は、時とともに操作が簡単になっていくでしょう。
しかし、さらに次の世代に出現する機器は、操作がさらに複雑化する可能性さえあります。
そうなった場合、たとえ説明書が機器内蔵の操作ガイダンスになっても、販売者には分かり易い説明書を「書く」能力、購買者には説明書を読み理解する力がさらに必要になるのではないでしょうか?
現在、携帯電話のアプリ(付加ソフト)として出現しつつある「口頭操作」などは、高度化すればズバリ「国語能力」による「デジタルデバイド」さえ起こりかねません。
その傾向はすでに、ネット検索する際の「キーワード」の選択と組み合わせで起こっています。

そういう時代に生きる皆さん、もう「そろばん」と言い表される「計算」能力は計算機任せにしてでも「読み書き」能力が必要とは思いませんか?

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実験ノートと取説

今年「実験ノート」が話題になりました。
研究の世界では、研究成果が本当であることを証明するために実験ノートが重要なのだそうですが、ビジネスの世界でもこれが必要な場合があります。
特許の問題です。
日本の特許は「先願主義」と言い、出願順なので、あとから出願した者は、レッキとした証拠を示して「私が先に発明しました」と主張してもムダです。
しかし、「先発明主義」では発明順なので、発明したことを隠しておき、その発明を使った商品がヒットした頃「私が先に発明した」と名乗り出て、莫大な使用料を巻き上げる手口があると聞きます。
その対抗手段のひとつがまさに「実験ノート」なのです。
名乗り出た発明者よりもさらに先に発明したことが「実験ノート」によって証明されれば莫大な使用料を巻き上げられずに済むのです。

しかし、ビジネスの世界で「実験ノート」にはさらに別の使い道があります。
それが取説、つまり取扱い説明書の執筆です。

取扱い説明書はどのように作られると思いますか?
作り方は、おもに2とおりあります。
ひとつは、製品の機能仕様書にしたがって、「どういう操作をすればどういう機能が実現できる。」を列挙していく方法。
もうひとつは、実際に使ってみて、その手順どおりに書いてゆく方法。

筆者の経験から言えば、筆者の周囲では、前者の作り方をする人が圧倒的大多数でした。
この方法の利点は、もっとも手間をかけずに作れて、製品の持つ機能を漏れなく、ほぼすべて「平等に」記載できます。
逆に欠点は、ある目的のために複数の機能を使う場合、ばらばらの機能記述を寄せ集め、しかもその連携方法はユーザー自身に委ねられます。

筆者自身は、基本的に後者の方法でした。
利点欠点はすべて前者の逆です。
当然、すべての機能を「平等に」書くことはできません。
だから、説明書に書いてある機能は、説明書のとおりにやれば再現できるのですが、それ以外の使い方をしたい人は困ります。

でも考えてみてください。
たとえば、初めてワープロソフトを使う人に、段組みとかインデントとか必要ですか?
まずは、ソフトを開いて、和文の漢字ひらがなカタカナと数字が打てて、ファイルを保存できて、ソフトを閉じることが必要最低限でしょう。

そこで、私はそういう初心者が最低限必要とするであろう事項に絞って最初から最後までを自らひととおり実施し、その手順を克明にノートに記録します。
たとえば「Windows7でCDの音楽をSDカードにダビングする」とか「洗浄便座を取り換えました」のように・・・
これらを見ると、研究発明における「実験ノート」と同様に、同じ道具を揃えれば、同じ手順で同じ結果が再現できるように思いませんか?
ほかのことはできませんが・・・

もちろん、実施にあたって、機能仕様書を熟読しますが、私としては、そこに書いてあることが本当にすべて間違いないか、ということに一抹の疑念を抱いていることも実験を「実施」せずにはいられない理由のひとつです。
実際、実施中に、機能仕様書には書かれていない注意事項を見つけることもあります。

そして次に、そういう「記録」から「私は・・・」とか「思う」「・・ではないか?」などの主観的な記述を事実確認によって排除し、断定形の一般論にします。
そして、さらに中級および上級ユーザーが使う機能を、必要になったら探せるようにリンク付けして「取説」にします。
中級ユーザー上級ユーザーともなれば、すでに相当手慣れていますから、手取り足取りの詳述はしなくても、端的で簡素な記述でたいてい了解していただくことができます。

テクニカルライターの皆さん、そうではありませんか?

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作文のヒケツは「起転承結」

「起承転結」否定派の私だが、文法と考察力のトレーニングとしての「作文」は否定するものではない。
しかし、最初の問題は、出題のしかただ。
「なにか作文を書きなさい。」とか「運動会の作文を書きなさい。」というのは手抜きも甚だしい。
子供を困惑させるな、と言いたい。
前者は、「なにか」では何を書いたらいいか「子供には」分からない。
後者は、「運動会」になんの興味も感動も無い子にとっては苦痛でしかない。

どうすれば良いのか?
「運動会や発表会、夏休み、またはそれ以外の思い出すこと」というふうに、具体的な候補をいくつか挙げたあと、それ以外もOKですよ、という出題がベストではないかと思う。
それなら、テーマを決めてもらわないと書けない子も、決められたテーマで書けない子も困らない。

しかし、本当の問題はそのあとだ。
書いてみると「運動会がありました。がんばったけど優勝できませんでした。残念でした。」くらいしか書くことがないのだ。
原稿用紙1枚がけっこうキツい。

そこで、単に文法と考察力のトレーニングとしては、「」でなく、「」で書くことをお奨めしたい。
まず「運動会がありました。」とその詳細な競技内容と結果を「起」とする。
2,3の競技に出ていれば、これだけで原稿用紙半分は固い。

次に、その中からひとつ、作文で論じたいテーマを選ぶ。
「競技」の種目でもいいし、「友情」でもいいし、大人びたテーマなら運動会の構成、運営でも良い。

ただし、「転」にいきなりそれを書いてはいけない。
「転」には、まったく無関係に見えて、実は選んだテーマが共通する記憶や経験を書くのだ。
それは「無関係に見える」ところがポイントで、過去の運動会でもいいし、「家族旅行」でもいいし、好きなタレントの話題でもいい。
「無関係に見える」ところが「転」なのだが、最後まで無関係ではいけないのは言うまでもない。
これをできるだけ詳しく書けば、これだけで原稿用紙1枚は固い。

次に「起」「転」を受けて、「承」で「そういう経験があるので、今回の運動会の○○について、□□のように考える。」と自分の考えを述べる。
すなわち、これが「転」を選んだときの「テーマ」だ。

最後に「承」の考察を受けて、「結」で「だから自分はこれから□□をしたい。」と考えを具体的な行動方針に結びつける。
この「承結」を原稿用紙半分にまとめれば、計2枚の作文ができあがる。

ここまで読んで、「えっ、作文てそんな面倒くさいことをするの? ”無関係に見えて、実は共通する事”なんて思いつかないよ!」とおっしゃる方、
世の中の発見も問題解決も、糸口は意外なところにある。
作文は、それを日常の経験の中から探し出す訓練だと思っていただきたい。

たしかに「無関係に見えて、実は共通する」事なんて簡単には思いつかない。
しかし、「訓練」によって、思いつくまでの時間はぐんぐん短縮されるし、「起」との関係づけも上達する。

ただし、以上はあくまで「考察力」の「訓練」としての作文であって、実用文の作成にこのようなテクニックが必要無いのは言うまでもない。

では、こういう文はいつ、どのようなときに役に立つのだろうか?
小説などの創作文以外に、ひとつだけ思いつくものがある。
それは、あなたが政治家や経営者になって、多くの人々に自分の「信念」や「考え」を語るときだ。
その場合には、このような作文法で、あなたの「信念」や「考え」を「体験」に付託して語ることで、より鮮明に具体的に伝えることができるだろう。

そういう職業になりたい人には、こういう作文の訓練が将来きっと役立つと思う。


<例文>


[起]
先日、学校の運動会がありました。
私は100m競走と騎馬戦に出ました。
100m競走では、中村くんと3位争いをしましたが、ゴール直前で中村くんのスパートに追いつけず、ビリになりました。
騎馬戦では、私は右後ろ脚でした。
相手チームを2組破ったところで、3組目に負けました。
結局、チーム全体では1組差で勝つことができました。

[転]
ところで先日、TVでトライアスロンの大会をやっていました。
トライアスロンは、ひとりひとりが長距離走、自転車、水泳を連続して競う競技です。
私などそのうちのどれかひとつでもできるかどうかわからないくらいで、「大変だなぁ」と思いました。
でも、出場している人々は楽しそうに見えました。

[承]
それに比べて、私の場合、学校の運動会は入学してからもう5回目で、特に目新しい競技も無く、どの競技は誰が得意かもだいたいわかっているので、はっきり言って退屈でした。

[結]
だから、私の学校でも、運動会に、ミニトライアスロンをしたら面白いのではないかと思います。
たとえば、50m走と縄跳びとボールのドリブルなどを組み合わせれば、競技時間はそれほどかからないし、意外な人の得意不得意がわかったりして面白いと思います。
そして、何を組み合わせるかを、毎年皆で話し合って決めることにすれば、もっと楽しめると思います。

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Author:理系男子
趣味も専門も電子回路という、画に描いたような理系男子ですが、世の中の「読みにくい取説」をなんとかできないものかと思い、自ら「書く側」になってしまいました。
 
 

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